パフェとコーヒー

 心が揺れ動いたときは、日記を書くより詩を書く方が、より正確に記録できる、と思ったのはずいぶん幼かったときのことだ。それ以来、それでも何か継続することに意味があるのでは、と、何度となく男もすなる日記といふものに手を出してみたのだけれど、何となくやめてしまった、それはそこに表された言葉の羅列を見ながら、私であって私でない人間がそこにいるような気がしてならなかったからかもしれない。

 今でも、自分の書いたものを見返して、書いたときの感情が吹きこぼれた鍋の湯のように溢れてきて、胸がつまるときがある。誰しもそんな風に思うんだろうか。過ぎ去ってしまった過去を眼前につきつけられる感覚、というのは、どこか物悲しい。

 このところ、余裕のない日常を送ってきました。と、恥の多い生涯を送ってきました、風に書いてみる。全てにおいて余裕がなくて、たびたび視野が狭まって、嫌になる。朝空を見上げて、朝の空ってこんなふうだっけ、なんて思えるようになったのはここ数日になってからです。ありとあらゆることに追われていて、追われたくもないし、そんな生活を望んでいるわけでもないのに、逃げなければならなくて、げんなりでした。忙しすぎると人間って生産性が下がると思うんです。そして更に忙しくなると思うんです。だめな日々だった。あえて一言で言う。よくない。

 余裕がなくなると心が揺れ動く余裕もなくなって、何にも心が揺れ動かなくなって、マイナスの振れ幅ばかり大きくなってしまう。何かプラスに心揺れるものを摂取していかないと。おいしくて美しいものとか。美しいパフェが食べたい。苺のジェラート、チョコレートソース、ナッツ、ウエハースに、生クリーム、ティラミス。夢が重なってるみたいだもの。きっと幸せになれる。そして、食後には、冷えた舌先を温める、おいしいコーヒーも。

 

 言い忘れるところでした。今年もどうぞよろしくお願いいたします。みなさんの温かさのおかげで、私は元気です。