夢がある

 夢っていつまで持ってていいものなのだろう。

 いつまでだって持っていていいよ、と人は言うだろうが、きっとそれには、「今守るべきものを犠牲にしなければ」と前置きがつく。犠牲を払わなければ辿りつけない場所に夢があるなら、その夢は持っていていいものだろうか。そうして、自らの夢を諦め、守るべきものを守る人を、私はとても強い人だと思う。保守的?そんな言葉で片付けるなよ、と、言いたい。しかし、そんな環境に置いても、犠牲を払っても、夢を追い続ける人もまた、とても強い人だと思う。犠牲を払うことによる責めを負う覚悟がある人をどうこれ以上責められようか。どちらも悪いし、どちらも良いし、正解は辿り着いた場所にしかないから、どちらの道に行っても、正解はあるし、その正解が必ずしも幸せなものとは限らないのだろう。もっとも悪いのは、夢と、守るべきものとの狭間で動けなくなってしまうことだ。往々にして、そこから這い出るのは、とても苦しい。それでも人は、そこに留まり続けることはできない。