雪の日に考える

 大雪だったね。

 しんしんというよりばさばさといった風情で降っていて,よりにもよって仕事に行く前にこんなに降らなくても,職場に着きさえすれば今日は中での仕事なんだから,と思いながら仕事に行ったら,ものの5分で外出することになり,地面の雪をびしゃびしゃ踏んで,職場の車に積もった雪を傘で払いのけた。外には,同じように何もこんな日に外出しなくても,という顔をした(偏見かもしれない)人たちが,同じようにモコモコのダウンを来て,手袋をして,傘を差して,車の雪を払っていた。雪は,受け入れる準備がない人達にとっては,すこし疎ましいものだ。遠くから見る(温かくて,座っているだけでも凍えなくて,濡れない場所から見る)分には美しいのになあ。あとは雪は降っている間じゃなくて,降り積もった完成形が美しいのだなとも思ったりする。降っている間は,美しいというより,切ない。

 そうして外に出ると今度は,子どもが短パンで雪の中を駆けていた。親が着せてくれたであろうモコモコのジャンパーを羽織り,膝小僧を眩しくはだけさせながら。私にもそんなときがあった。そしてなくなった。雪うさぎを拵えるよりも先に,冷えた手をホットコーヒーの温度で暖めたいと思う大人になっていた。

 用事を終えて,また,車に積もった雪を払って,同じように雪を携えた車たちを横目に暖かな室内に帰った。帰ってから,帰るまでにやんでほしいなあ,なんて考えた。

 子どもの頃,授業中降りしきる雪を見ながら,どうか放課後まで降り続いて欲しいと思ったことを思い出した。