君の銜える煙草になりたい

 研究棟の外,普段はあまり使われない非常階段が,彼の定位置だ。そしてその定位置は,私の所属する研究室の部屋の窓からとてもよく見える。

 彼は,いつも同じ時間に,煙草を吸いに外に出て,雨ざらしで色褪せた階段の手すりに,気怠く身体をもたせかける。

 そんな彼をいつも見られるように,必ず同じ時間に研究室にいるようにしたのは私だ。だからこれは偶然でも奇跡でもない。作為だ。

 彼の居場所が見られるように,私は毎朝一番に研究室を訪れて,カーテンに少し隙間を作っている。

 そしていつも同じ時間,二限目の始まる鐘が鳴り,構内を闊歩する学生達の声が少し静まり帰った頃,彼はそこにやってくる。

 私は周囲に気づかれないように,窓の外を盗み見て,彼の銜える煙草になりたいと思う。彼の触れる手すりになりたいと思う。彼の触れるものすべてが,私の訪れることのない隣の研究棟のものだということが疎ましく思う。

 煙草の吸殻を捨ててくれればいいのに,なんて,馬鹿らしいことさえ考えもする。

 しかしながら,彼はいつも,チノパンの後ろのポケットから取り出した,洒落た携帯灰皿に,器用に吸い殻を入れて,私に気づくことはなく,私の居る研究棟に目を向けることもなく,足早に去ってしまうのだ。

 

 ああ、君の銜える煙草になりたい。

 君の名前も匂いも声も、吸っている煙草の銘柄すら、知らないというのに。